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おむつ洗浄から、クリーンルームの「クリーン洗浄」へ|代表取締役/山口弘修(やまぐち・ひろのぶ)さん

クリーンルームのクリーン洗浄をする会社

山口社長は、地元進学高校時代はテニス部のキャプテンを務め、部活と勉強を両立し、京都大学へ。就職は、自分の幅を広げるために新規事業をやってみたいと、業務の多角化を進めていた旭化成株式会社に入社。その後、父の会社の新規事業「CIC」の仕事に華やかさと将来性を感じ、父の会社に転職、様々な体験を積みながら経営者として次のチャレンジを試みている。

「ガチャ万景気」から次の時代へ

山口社長の実家は、戦前から祖父が機織工場「山口毛織」を経営していた。終戦後の復興時代は「ガチャ万景気(機織機がガチャっと動くと1万円儲かる)」で鐘紡に次ぐ大手となった。ところが円の自由相場となって経営が悪化、昭和46年に廃業となった。

翌年(昭和47年)のベビーブームに、父が赤ちゃんのおむつ洗浄とリースの会社を始めた。祖父の時代の「大きく儲ける」経営から、「小さくとも自らの努力で確実に儲かる」経営に転換した。

「くさいからいやだ」山口社長が父親からおむつの集配に付いて行くかと聞かれたときに、一緒に行くことを拒んだ。その時、「おむつは『黄金』だと思え。黄金がついているおむつを大切にし、きれいにすることでお金をいただいているんだ」と父が言った言葉が、今も心に残っている。

CIC特殊クリーニングとの出会い

昭和48年頃、一般クリーニング(現ホワイト急便)も始め、会社が成長時期に入った。東京では小林八郎氏が目に見えないチリを落とす「CICの特殊クリーニング」を全国に広げていた。「これからのビジネスだ、よくわからないけど、やってみよう。夢を買おう!」と、昭和53年「CIC」のフランチャイズとなった。

綿素材のおむつ洗浄が乾燥する際にほこりがたくさん出るため、クリーンルーム洗浄と組み合わせが悪く、結局、おむつ洗浄は同業他社に権利を譲り、CICと一般クリーニングを二本柱の事業とした。

父の会社に転職

山口社長は就職3年目に、父の勧めでCICグループの国際学会などに参加、CICの魅力と将来性を感じ、父の会社へ転職することになった。

父の会社は、兄が一般クリーニング、山口社長がCICを担当。その頃はバブルが崩壊した後だったが、半導体業界は、PCの普及とともにITバブルが訪れ仕事が忙しくなっていた。ある四日市の顧客から当初の4倍の受注増を受け、98年3月に三重県亀山市に新工場を建設。ところが、工場稼働から2年、PC普及に伴う製造コストの削減から、洗浄代のコストダウンを余儀なくされ、その上、発注元工場が海外移転となり、メインの売上がなくなった。ちょうどその頃、同時多発テロや半導体の不況で経営が厳しくなった。

その頃から経営者勉強会等に参加、自分自身に軸がなかったことに気付かされた。常に学びの姿勢で、厳しい状況を幾度も乗り切り、現在の中部CIC研究所がある。

今後は、CICの強みを活かしながら、海外にも拠点をつくり、成長市場を掴むとともに、進出先の地域、国の発展にも貢献していきたい。

学生レポート

安達 明理(あだち・あかり)さん

豊橋技術科学大学 工学部 環境・生命工学科3年

取材を通じて、一つの会社としてというよりも、山口社長の祖先から続く歴史理念と、受け継がれた精神を感じました。激動ならぬ激変の時代である今だからこそ、「一本筋の通った」この会社に、未来を感じました。

橋本 実紗(はしもと・みさ)さん

愛知工業大学 経営学部2年

リーマンショックなど不景気で業績が上がらない時にでも立ち上がることができ、失敗を繰り返しながら今の会社があることがわかりました。見えないところを大切にされている、ニッチ業界のこれから需要のある会社だと感じました。

 

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